かって3週間の断食をしたときの最低体重は47.2kgでした。ところが翌日測ると47.5kgに増えている。その翌日も47.5kg。そこで断食期間は終わり補食期間に入りました。
測定したのは家庭用のアナログの古いヘルスメーターで、目盛りも500g単位です。だから47.2kgは測り間違いと思いました。 なにしろ肉がそげ落ちてあばらが一本々々浮いている状態です。その状態でなにも食べていないのに300gも増えるはずはありません。ですから長い間その数字は無視してきました。 山田鷹夫さんの本を読んで、あのときの47.2kgという数字、あれは計測間違いではなかったのかもしれないと、いま思い始めています。食べなくても体重は増えるっていう記述が妙に気になるのです。 そのときの断食ですが3週間目にして、肉体的にはまだまだいけると思いました。ところが精神はもう限界です。郷愁で胸が張り裂けそうでした。食べ物を口にする普通の生活に対するすさまじい郷愁。それがなかったら、あと3週間はいけそうでした。カラダはまだ余力を十分残していました。 人間はなかなか死ねない。餓死っていうのは大変なことだな、とつくづくおもいしりました。 だから、もしかしたらと、ボクは思うのです。もしかしたら、この超「とんでも本」の主張は正しいのかもしれない。山田鷹夫は正しいことをいってるのかもしれない。この本の主張通り、本当は「人は食べなくても生きられる」のかもしれない、と。 もしかしたらと思う理由は、じつはもうひとつあります。 突飛にきこえるかもしれませんが、それはカロリーベースで40%を割り込んでいる日本の食料自給率です。 40%──。これはすでに笑ってすませられる数字ではありません。 もし輸入が全面ストップすれば6割以上の人が飢えるのです。これは単純計算で、実際には買い占めや売り惜しみがあるでしょうから、もっとひどい数字になるかもしれません。 しかるに日本人はグルメにあけくれ飽食を 食料自給率を知らないわけではないのに、です。 この日本人の行動は、ボクには長い間なぞでした。本当にわけが判らない。 この本を読んで、そのなぞの一端が解けた思いがしました。 日本人の集合意識は「飢え」をおそれていない。 むしろそれを望んでいる! だから普通では考えられない、このひどい食料自給率を 多くの予言に「日本発の新しい潮流が世界を導いてゆく」とあるのは、このことだったのかもしれない、と思いました。もし本当に食べる必要がないなら、八方ふさがりの世界の窮状を救う、まさに大ドンデン返しです。 これから数年の間に「人は食べなくても生きられる」ことが、まず日本人のあいだで広く常識になってゆくのではないか。 そうすれば「飢え」の意味がずいぶんと変わります。 そうなれば飢えとは食べることへの単なる郷愁でしかありません。郷愁は、それはすさまじいかもしれない。あるいはドラッグの禁断症状よりも激しいかもしれないが、しかし、本質的には禁煙とまったく同じレベルで考えられるべき問題です。山田鷹夫の話が正しいならです。 とにかく山田鷹夫からボールは投げられた。腕組みして考えていては始まらない。 まずだれかが実験し、それを身をもって実証、っていうか追実証しなければなりません。 まさにそのためにこのブログは作られました。 1)山田鷹夫が提唱する「不食実験」を公開実験とするためと、 2)できれば 不食実験といっても、いきなり明日から食を断つわけではありません。 それはあまりにも無謀すぎると、ボクの断食経験がいさめています。 食から不食へ。それはもっとも安全で、かつスムーズな移行でなければなりません。 そこでまず小食を足がかりにすることに決めました。 ボクは一年ほどまえから一日二食ですが、その量をじょじょに落とし始めています。 事前にゆるやかに食事の量をへらすのが安全な断食のコツです。そうすることで激しい瞑眩を防げます。これは単なる経験則で、医学的および科学的な根拠を説明できるだけの知識は残念ながら持ち合わせておりませんが。 ともあれ、本格的な「不食実験」にむけて、ゆるやかに慎重に準備をしてゆくつもりです。 日本を取り巻く状況は日々厳しさを増しています。 このさきインターネットがいつまで使えるかは判りませんが、この公開実験をより多くのひとに目のあたりにしていただき、できれば参加していただきたいと、こころより願っています。 注******* 3週間の断食: これがボクの初断食です。当時ボクは梅棹忠男氏の「知的生産の技術」にこっていたので、B6版のカードに日記を記しました。1日1枚のこの40数枚のカードは、のちにボク自身の断食の教科書になりました。最初で最後に指導員のもとで行ったこの断食は、教科書のような完璧さで成功裡に終了したのでした。 補食期間: 断食をした直後に普通の食事をとると、胃が潰瘍を起こしたり、場合によったら死にいたることさえあります。それがないように躰をもとに戻す期間のことを業界用語で補食期間とよんでいます。たいていは重湯から始めて、断食期間と同じ日数をかけて食事をもとに戻します。 じつはこの期間は、ある意味、断食中より危険です。断食を終えたという安堵感と、なまじ物が口に入るので、こころがゆるみ、そのぶん欲望が熾烈になるからです。この期間の〝植物性油〟と〝砂糖〟は絶対に禁物ですが、とくに甘い物が喉から手が出るほど欲しくなるのも、この期間です。 経験を積んだ行者でも、補食に失敗したひとは大勢います。なにをかくそうボクも失敗したことがあります。 山田鷹夫さんの本: 山田鷹夫著『人は食べなくても生きられる』三五館 この実験はこの本でなされた、かれの提唱に基づいておこなわれます。 ボクがこの本の存在を教えてもらったのは、左にリンクが張ってありますサイト「2012年の黙示録」の主催者なわ・ふみひと氏からでした。上記サイトにはこの本の紹介記事が掲載されています。ぜひご一読ください。 食べなくても体重は増える: 山田鷹夫著『人は食べなくても生きられる』112頁参照 食料自給率: これについては農水省の該当ページを見てください。すべてPDFファイルなので少々うっとうしいですが、もちろんないよりはるかにましです。 不食実験:「不食」とは山田鷹夫さんの造語で永久断食のことです。「新しい概念だから新しい言葉を使いたい」というのが造語の理由ですが、本当は断食という言葉がかれはお嫌いなのではと思っています。ボク自身のことをいうと、苦行のにおいのしみこんだ「断食」という言葉があまり好きではありません。「行」はすべからく楽行でなきゃあ。 ひとりひとりが不食の実験をして「人は食べなくても生きられる」ことを自らの真実とせよと、山田鷹夫は提唱しています。あなた自身の真実を自らの手で稼ぎとれ、と。 瞑眩:「めいげん」と読みます。大辞泉に「漢方治療で、治癒前に、一時的な高熱・下痢・発疹(ほつしん)などが起こること。」とあります。 断食の初期でこれが起こることがあります。たとえば胃潰瘍のひとが断食すると胃からの激しい出血に悩まされるなどはこれです。 断食療法で有名な甲田光雄先生は、これを「反応症状」と呼び「悪いところが治ってくるための必要な症状」と位置づけていらっしゃいます。 ボクが初めて断食したとき左後頭部に激痛が走り、二日間、頭を押さえてのたうちました。以前脳梗塞で右半身が不随になったことがあり、激痛はそのせいであろうと思っています。 余談ながら、そのせいでボクは身障者手帳を持っていて高速道路は半額です。(^L~)v 医学的および科学的な根拠:最近上記甲田光雄先生の著書を読んでいてつぎの記述に接しました。 「断食療法を行うときは、通常漸減食を行う必要があるのです。普通のご飯を食べているひとは硬い粥、七分粥、五分粥と次第に減食を進め、最後に重湯を食べます。この減食期を経て、いよいよ本断食に入るわけです。 本断食の日数が長いほど減食期間も長く、慎重に進める必要があります。これは断食を安全に終了させるため、ぜひまもらなければならない戒律のようなものです」 (『腎臓病と甲田療法』114頁) ボクが漠然と考えていたことと、あまりにも近いのでびっくりしました。 by ともよし
by tabenai
| 2003-12-01 00:00
| イントロダクション
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